そもそもの始まりは、昨年秋、ツーリング仲間H氏の一言「DE耐にみんなで出ませんか?」だった。
高速道路でぶっ飛ばしたり、サーキット走行ならしたことがあると言う程度の人間たちが集まりレースをするのだ。マシン選びから改造まで手探り状態で進んできた。
マシン本体はH氏の奥さまK子さんが全面出資して新車のXR100モタードを購入、レーサーへの改造は群馬に住むプロメカニックのK君にお願いすることになった。
知らない人のために簡単に説明すると、栃木県にあるホンダのコース「ツインリンク・モテギ(一周4.813Km)」で毎年行われるロードレースで、レギュレーションは大まかに言って次のとおり。
◆ レースは7時間の耐久レース
◆ 予選は無しで、申しこみ先着の150組まで出場可能
◆ 車輌は発売時100ccまでの市販車(ボアアップにより125ccまで拡大が認められる)
◆ タイヤは12inch以上
◆ ガソリンはレースを通してトータル21リッターまで
◆ スタートはA・B・Cグループに分かれ、50台ずつ出走
◆ スターティンググリッドはクジ引きで決める(ウチらはCグループで、グリッドは101番)
こんな感じで行われる。
このレースの面白いところは、舞台(サーキットとその施設)はプロと同じ扱いで演出される(レースクィーンだっているし、オーロラビジョン(超巨大スクリーン)を使った場内放映もある)けど、出ている運転手は全てど素人というところ。
そしてガソリンの量に制限があるので、ただ速いだけでは勝てないというところにある。
(ガス欠になったら、そこでリタイヤになるもんね)かくして半年以上の時間を掛けて準備されたマシンは、2005年6月4日モテギのアスファルトを踏むことになった。
午前10時スタート予定が、そこはサンデーレースらしく20分ほど遅れて10時20分スタート。クルーのR子さんが支えるマシンに飛び乗り、ルマン式スタートを切ったのは御歳50歳のS氏。練習ではキャブの問題もあり、一周3’15”程度までしか出ていなかったが、さすが年の功でアッと言う間に3”フラット近くまで詰めてしまった。
このレース、スタート時には3リッターのガソリンしか入れてもらえない。
そして給油時にも3リッターだけ入れてもらい、入れたら10分間の停止が命じられる。
だから、ウチのチームの作戦は当日の朝決めたのだが、通常の耐久レースのように給油サインなんて洒落たものはなしで、「コックオンで走行、リザーブになったら給油!」という大胆なものだ。せっかくサインボード持っていったのに・・・
その後2番手のE君、3番手のM君らが着実に周回を重ね、ベストラップは2’59”まで縮まっていた。この時点での順位は47位。
ここで準オーナー兼4番手のH氏の登場。
氏はメンバーの中でも、おそらく一番タイムが出ないだろうと言われていたのだが・・・
なんと、15ラップ目にチームベストの2’57”台を叩きだし、クルーたちの度胆を抜いてくれたのだ。
16周目、予定時刻になってもホームストレッチに帰ってこないH氏に対して誰も心配はしていなかった。
計算上、16周でリザーブに切りかわるはずなので、全員が「給油に入った」と思っていたのだ。
しかし、待てど暮らせど戻ってこない事を不審に思いはじめた頃、H氏の息子(中学生)がワシの袖を引きながらボソッと言ったのだ。
「ゼッケン54番の関係者、メディカルセンターに来いって呼んでるよ。トオチャン、転んだみたい・・・」
幸い怪我は大したこともなく打ち身程度で済んだのだが、S字でハイサイドを喰らったマシンはハンドルが若干曲がり、シフトペダルがあさっての方を向いていた。
メカのK君が手際良く修正、ガスも補給して、2巡目のS氏にマシンをゆだねた。
長い長い7時間のレースもあと30分ほどになった。
計時をK子さんに交替してもらいパドックで休憩していたら、なにやら続々とみんながピットレーンへ走っていく。
「あ〜、みんなゴールしたときにコースへ飛びだして喜びたいんだなぁ〜♪」などと呑気なことを考えていたら、クルーが騒いでいる。
「旗出た!旗だよ!!レッド!!!」
レッドフラッグは「即時レース中止」の印。
一体何が起きたのかと思いピットレーンへ出て、本コースを見てみると・・・
なんとホームストレッチ上で
各マシンはピットに戻り、コースでは救急車が怪我人を搬出している。
今年のDE耐はこれでおしまい。
我々のリザルトは
順位:99位
周回数:90周
走行距離:432Km
ベストラップ:2’55”28(S氏)
初出場としては上出来すぎるかも?
H氏といえば、みんなから「キミの転倒さえ無ければ・・・」と暖かい励ましの言葉を頂いていたことは言うまでもない。
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